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月明洞の八重桜

月明洞の八重桜
月明洞の八重桜
2009年4月25日撮影

このときの句が、
 八重桜 重荷は措くと 決めました。

 昨日は写真を撮りませんでした。
 
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趣味

八重桜

昔、伝統俳句の会に入っていました。文語体で、文語の文法は難しいノデス。
10年あまり熱心にやっていたのですが、先生が認知症になってしまって私もやめました。
その後、現代俳句に誘われ、感情を自分の言葉で表せる現代俳句が面白くて、ずっと続けてきたのですが、2年前に、忙しすぎるので句会からは脱退しました。
でも、感興があれば作ります。
昨日、4月22日、主日に行き、早かったので公園で八重桜を見ました。
満開で、曇り空の鬱陶しい天気だったのにそこだけが明るくほっとするようでした。
私は3年前の4月26日、ウォルにいました。
前の日の雨をいっぱいに含んだ八重桜が、重そうにぎっしりと咲いていました。
その重そうな印象から、

八重桜 重荷は措くと 決めました

と、一句作りました。

3年たって、最近まで重荷をおろしきれず、八潮の聖霊集会で、
「自分の霊の慟哭を聞きなさい」
という、啓示の御言葉が耳に残って、自分の重荷を小説の形で書きました。
妻に見とがめられ、外に対しては絶対に発表しないと約束させられました。
でもそれは、主に対する私の訴えであり、発表する必要はなかったように思います。
創作講座の宿題として書いたものなので、講座には提出しましたが先生に、
「ご講評だけお願いします。外には発表しません」
と、お断りしておきました。
あれを書きながら、どれほど涙を流したことか、およそ原稿用紙40枚分、初めから終いまで、泣きっぱなしでした。
おかげで流した涙の分くらい、私の負ってきた荷の重さが軽くなったようです。
それで昨日は、

重い荷は 主に委ねます 八重桜

という句ができました。
一日、お恵み深い日でした。
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娘が孫を連れて

孫を連れて娘が12時半ころ来てくれました。
本当に元気のいい子です。
コロコロ寝がえりをして、好きな所へ行けるので這い這いなど覚えるつもりがないようです。
腹ばいになって首から胸まで反らせて手を挙げ、足はドルフィンキックで泳ぐように動き、ちょっとの間もじっとしていません。
本当に元気な孫です。
1月目黒で会って以来で、本当に嬉しく、幸せでした。
つい今しがた、帰りました。
便利になったものです。湘南新宿ラインで、乗り換えないで来て、帰りました。
満75歳になる1か月前に初孫に恵まれ、今年8月にはは喜寿、12月には金婚の年になります。

聖三位に深く感謝します。
このような幸せな老齢期を迎えられるとは、これこそ望外の幸せというものです。
精神的にも経済的にも、いつも追われて忙しく生きてきました。
これほどの幸せを得られるほどのことを私はしてきたのでしょうか。
省みて恥ずかしいばかりです。
主の御名により感謝の祈りを捧げます。
アーメン
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昨日の主日

主日の御言葉が、ガツンときた。
始まる前にプリントをもらった。(老人の特権、耳が遠いので)

受精を比喩にした御言葉にちょっと苦笑してしまったのだが、とにかく先に黙読し終わって、礼拝のプログラムが進行、説教になって改めて聞き入った。

いつも雑念に悩まされ、躓いていることが多いので、プリントに赤線でアンダーラインを入れながら説教を聞いた。
その時、
「いつも雑念に悩まされ、自己を消し去ることができなて悩んでいる。その悩みに対する答えがここにある」
と、気がついて、ガツンと拳骨をもらったような気がした。
それからも、雑念は浮かぶ。その度に、雑念の初めから断ち切り、今の説教に耳を傾けるようにして、これまでの雑念の悩みは、訓練しだいだと思えるようになった。
「雑念の発生するのは抑えられない。が、芽のうちに摘み取ることはできる」

これで一歩前へ進むことができる。
ありがたい、お恵み多い主日だった。

摂理のすごいところは、悩みを訴えて祈れば、必ず答えが出てくるところだ。
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K君のおばあちゃん

ゆうはちです。
昨年、移籍してきたK君は、私と同じO市に家があり、ご家族がいます。
1月4日にO君が水曜日夜の礼拝を私の所でしたい、と言ってきましたので、一緒にしました。
O君は優しい青年で私たち夫婦に、
「おばあちゃんと一緒に食事をしませんか」
と言います。
翌日早速郊外のレストランでご一緒に食事をして、いろいろお話をしました。
私がずいぶん昔、O君と同じ町内の工業団地にいたことも、会社の名前も話しました。
すると、おばあちゃんが、
「私は〇〇という会社にいました」
と言うではありませんか。
それは隣の会社でした。
O君のおばあちゃんは、順に思い出して私の家内に、
「お花を教わった」
と言うではありませんか。
家内は、
「そんなことがあったかしら」
と、思い出せないようでしたが、おばあちゃんは、子供がちょろちょろしていたことも覚えていました。
その子が「なが」です。
私がサラリーマンだった47年前、F社の取引会社ばかりの工業団地に赴任しました。
営業出張所とパートタイマーを初めは5人ばかり、後には20人くらい集めて組立工場を作り両方の責任者になりました。
赴任の時私は31歳になる3日ばかり前でした。せがれは2歳になる40日くらい前でした。
隣は、やはり組立工場で、30人くらいのパートさんが働いていました。その中におばあちゃんがいたのでした。
奇遇とはこのことで、懐かしく楽しい食事になりました。
再度の食事会をお約束しているのですが、余り寒かったので、延び延びになっています。
今月中には多分再会できるものと楽しみにしています。
その会社で、東京本社で3年半、営業部で、F社と、関連会社10社を担当していました。
そのF社に娘が勤めています。
営業所長兼工場長を7年半ばかりやりまして、脱サラしました。
脱サラしてから40年経ちました。
不思議な巡り合わせが続いています。
さて、次はどんな巡り合わせが待っているでしょうか。
本当に神様は粋なお方です。

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